私が将来コンピュータ・ネットワークの研究を目指そうと思い始めたのは、
小学生のときだった。
当時、PC WORLDという雑誌があった。その雑誌は当時としては非常に先進的
で、毎号非常に興味深く読んでいた。その中で、アメリカのパソコン通信の
動向を特集した記事があった。その記事には「私が投稿した記事を、シスオ
ペが勝手に消してしまった!」なんてことが書かれていた。私はその記事の
前提がよくわからなかった。「コンピュータに保存しているデータを、他人
が勝手に消してしまうってどういうこと? 自分が管理しているコンピュータ
のデータを消せるのは自分だけじゃないんだろうか?」
その記事を読みすすめて、やっと話が理解できてきた。そこでは、モデムと
いう装置を使って、コンピュータのデータを音に変換し、それを電話回線を
通じて別のコンピュータに接続していたのだった。ものすげー画期的な発想
だと思った。一旦データを音に変換してしまえば、あとは電話回線を通じて
世界中のコンピュータにどことでも接続できるようになる。そのように何人
もの人が一台のコンピュータにアクセスする状況であれば、記事のように他
人が勝手に自分のデータを消してしまうようなことが発生するのもよくわか
る。(記憶は不確かだが、バックナンバーさえあれば今でもその記事をみつ
けることはできると思う。)
面白い。やってみよう。そう思い続けて、私が始めることができたのは中学
生のときだった。ちょうど電話回線への接続機器が解放されたころだった。
ようやくモデムが市販され、自分で自由に接続できるようになった。
そのころは、アスキーのパソコン通信ハンドブックがバイブルだった。
最初に買ったモデムは300bpsだった。たしか3万円くらいだったと思う。今
では説明にも困るが、そのころのモデムにはATコマンドというものがなかっ
た。電話番号は、当然自分の手で打っていた。接続したパソコンはMSX。最
初は当然シリアルなんてついていなかったので、シリアルカートリッジとい
うの差してそこから使った。
たしか300bpsのモデムをもう一台買ったのだったと思う。その次にようやく
1200bpsのモデムを手に入れた。いきなり4倍になったのだから、それは速かっ
た。300bpsのころはデータの流れる速度より文章を読む速度のほうが速かっ
たので、文章を読むのはつっかえつっかえしながらだった。しかし1200bps
になってからは、読む速度よりデータが来る速度のほうが速くなったから、
いちいち文章が来るのを待つ必要がなくなった。でももちろん負けじと読む
速度も速くなっていったのだけど。300bpsのモデムはデータが流れているこ
とが音でわかるのだが、1200bpsからは音としてはずっと同じように聞こえ
るのは、なんだかさびしい変化だった。
その時、コンピュータへ入力する情報量について考えていた。コンピュータ
はそもそもなんらかの情報が入力されないと動き出さない。コンピュータに
入力される情報は、一般的には入力機器から入力される。具体的にはキーボー
ドやフロッピーからだ。つまりそこでは、コンピュータの有用度というのは
それらの入力機器から入力される情報の総量に依存してしまうわけだ。
「自分で必死にキーボードから有用な情報を打ちこんで自分でそれを使う」
もしくは「有用な情報が入ったメディアを買ってきてそれをフロッピーから
読みこむ」ということをする必要がある。(この場合の有用は情報とは、い
わゆるプログラムも同時に意味している。) こういう種類のコンピュータは、
「コンピュータから話しかけてくれないからつまらないなぁ」という印象を
与える。
しかし、ネットワークにつながったコンピュータは根本的に違う。ネットワー
クという形で外部に接続され、外部にある個々のコンピュータの中にある情
報が、あたかもそのコンピュータに接続された外部情報記憶装置のように働く。
無限大の、しかも日々更新される情報源が接続されたように感じるのだ。
ここでは完全にコンピュータの有用度を計る基準が変わってきてしまうのだ。
そのとき一番やりたいと思っていたのは、The Island of Kesmaiというゲー
ムだ。コンピュサーブというパソコン通信の最大手がやっていた、共有スペー
ス型のネットワークゲームだった。(Dungeon of Kesmaiというゲームもあっ
たがこれとは違うので注意。)
もちろんコンピュサーブまで国際電話で接続し、さらに接続時間につきいく
らという金額をクレジットカードで支払うことができるような年齢ではなく、
手をくわえて見ているほかなかった。
実際にプレイしてみたら楽しいんだろうなぁ、たぶんこういう風になってい
るんだろうなぁと、想像の中でプレイしてみるしかなかった。そして、もし
そのゲームがどうしてもプレイできないというのなら、自分で作ってしまえ
ばいいんじゃないかと考えるようになった。このゲームは見た目としては
Rogueを想像してもらえればわかるが、ASCIIキャラクターだけで画面が構成
されていて、見ている分には作るのも簡単そうだったのだ。自分でゲーム空
間を提供するにはどうしたらいいんだろう、やっぱりこのパソコンを電話回
線につなぎっぱなしにするのかなぁといろいろ悩んでいた。
そのとき考えた方法は、チャットシステムを利用するということ。自宅のパ
ソコンにプログラムを設置し、チャットの情報を読みとる。そしてある種の
コマンドラインのようなデータはそのプログラムが解釈し、ゲーム空間へ反
映されるコマンドとして認識する。そしてその人にはゲーム空間がどのよう
に更新されたかのデータを渡す。各自はクライアントプログラムを持ってい
て、そのサーバからの情報を読みとり、クライアント上で画面を再構成する。
クライアントとかサーバって言葉を知っていたわけではない。そういった言
葉にふれたのは、大学に入ってからだった。しかし、理念としては理解して
いた。パソコン通信の通信用プログラムは自分で打ち込んで作るのが当たり
前の時代だったので、私も実際に自分用の通信プログラムは自分で作ってい
た。そこでホストコンピュータから送られてくる文字列をどのように解釈し
て画面上で表示するかはプログラムが勝手に解釈すればいいだけだった。エ
スケープシーケンスをどのように実装するかは各自の解釈にまかされていた
わけだ。
■The Island of Kesmai
http://www.geocities.com/TimesSquare/Portal/6719/LOK/library/kesmai.html
http://www.intelligamer.com/features/qa/kesmai.asp
http://www.mud.co.uk/richard/imucg6.htm
Dungeons of Kesmai
http://www.atarimagazines.com/v3n7/online.html
その後も、そういった共有スペース型のネットワーク・ゲームには興味を持
ち続けた。その流れで、ルーカスアーツが制作したHabitatというものがあっ
た。これは面白そうだと思った。
しばらくして、富士通がそれを買い取り、日本で展開をはじめた。はじめは
Towns専用で動くものだった。これまた自分で実際にそれを所有することは
なかったのだが、今度は富士通なのでショールームに行けば触れるのだった。
僕は秋葉原ラジ館にある富士通のショールームまでHabitatを見にいった。
先客がネットワーク上で他の人と会話をしているのを後から見ていた。
これは悲惨だと思った。会話で顔文字を使っていたからだ。
Habitatがどんな画面か知ってると思うが、上半分に画像エリアがあって、
そこには町の様子とそれに重なって登場人物の画像が人数分表示される。
その人物には緻密に描き込まれたビットマップでできた顔がついているのだ
が、その表情はまさしく貼り付けられていて、笑うことも泣くこともできな
かった。そこに参加している人は主にチャットを楽しんでいたのだが、そこ
では(^_^)や(;_;)といった顔文字によって表情を伝えていた。そしてそのほ
うが、描き込まれたビットマップによる顔よりもはるかによくその表情を伝
えていた。
あんなに描きこまれたビットマップを持っているのに、でもそこでは顔文字
で表情を伝えている。
Habitatは自分が作りたかった共有スペース型ネットワーク・ゲームにもっ
とも近いものだったのだが、かなり幻滅した。そして、きちんとつきつめて
考えないと、自分で作るものもまったく同じようなものにしかならないぞと
思うようになった。
■富士通 Habitat http://www.j-chat.net/1st/
私が大学に入ってからの話? そっから先も長いねー。以下概略。
→あいかわらずネットワークに興味を持っていた。
→インターネットというものを発見した。
電話代、毎月いくら払ってるんだろう? と思った。
→anonymous FTPを発見し、狂喜する。
anonymousというスペルはちょっと長くてなかなか覚えるのが難しかった。
→最初は主にCG関係に興味を持っていた。レイトレーシングソフト、
pbmplus、info-mac、などに興味を持っていた。
→ネットワーク上の情報システムというものに興味を持つ。archie、Gopher、
WAIS。NeXT上のソフトウェア、Gopher in a Forest。
→そして、WWW。
→そして、Mosaic。
→同時にMUDにも興味を持つ。LambdaMOOの日本語化を行う。部屋や空間がオ
ブジェクト指向のオブジェクトになっていて、空間内からプログラムでアク
セスできるという点が非常に面白かった。大阪弁の部屋とか作ってたな。
AndroMOOにはPavel Curtisがやってきたりしていた。
→BSXMUDという絵のでるMUDもあった。これはなかなか面白かった。
→VRMLに興味を持ち、最初期からメーリングリストにはいっていた。
VRMLのプロジェクトもやっていたが、結局のところ関与は非常に限られたも
のとなった。(プロジェクトがぽしゃったってのも大きいけどね。)
→MOOとWWWをつなげたものを作ろうと思った。しかしそれをやろうとしていた人が、
そのときすでにゴマンといたということを知って、ちょっとやになった。
(でもやっておけばよかったね。)
→Web上の情報というだけで考えていただけではだめで、外部からの情報の
入力をどのようにすればいいかを考えるようになった。現実世界との結びつ
きをどのように実現すればいいんだろうと考えるようになった。PeepHoleを
作った。RemoteEyeを作った。
→Web上のインタラクションを考えようと思った。Web上に空間を作るにはど
うしたらいいかを考えていった。例えばDotPaintによってWeb上に共同で絵
を描いていくスペースを作っていった。
→コミュニケーション構造をそのものを見えるようにするということに興味
を持った。RealPanopticonとWebHopperは、ほとんど同じ構造をもった二つ
の作品だった。
→で、今にいたっていると。
■Gopher in a Forest
http://ftp.mayn.de/pub/unix/network/gopher/INDEX.html
http://wuarchive.wustl.edu/packages/gopher/NeXT/Tree0.5.tar.Z.README
http://www.brl.ntt.co.jp/people/takada/ml/archive/infotalk/199304/19930402.html
なつかしいなぁ。